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笛吹峠を通り道にするサイクリストで、名前は知っていても場所がよくわからない人が多いのがこの「縁切橋」です。意外と歴史があるんです。

場所は嵐山町から笛吹峠に入る手前、道沿いに看板が出てきます〜。

実はその看板から20mほど行った場所にある、2mぐらいの小さな、小さな橋が縁切橋なのです。
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クロスバイクと比較しても、非常に小さく橋として機能しておらず、現在は欄干が片側にあるだけです。

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縁切橋の下には一応小さな川が通っていますが、農業用水路のように見えます。

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この縁切橋は歴史が古く、坂上田村麻呂(758-811)が征夷大将軍時、岩殿に住んでいる悪龍退治に従事しているとき、坂上田村麻呂を心配した妻女(奥方)が京都からこの地に訪れたのですが、「将軍として派遺されている我に妻女が尋ねるとは何事だ逢わぬぞ」と坂上田村麻呂は怒鳴ったそうです。そして、「大命を受けて出陣しているのに追って来るとは何事だ、今より縁を切る、早々立ち去れ」と宣言したと伝えられてるそうです。その場所が、ここ、「縁切橋」なんですね。

坂上田村麻呂が征夷大将軍になったのは、797年(40歳時)で、801年(44歳)に蝦夷討伐を報告したそうです。当時の蝦夷(えみし)は、大和朝廷への帰属を拒否した集団で、関東地方や東北、北陸など大和朝廷と敵対した地域とも言えそうです。
伝説に、征夷大将軍の坂上田村麻呂となっていることから、舞台は797年〜と思われます。つまり、このちっさな橋は1200年以上の歴史があります。

この岩殿周辺(正法寺(岩殿観音)は718年開山)にも、大和朝廷の支配下に置かれるのを拒否した集団が居たと考えられ、それが伝説の「悪龍」と言われている、可能性もあります。
そんな場所に、軍トップ(征夷大将軍)の奥方が京都からきたらどうでしょう。素人目にも狙われると思います。

伝説の真相や、当時のことはよくわからないのですが、坂上田村麻呂が激怒して追い返したというよりは、治安の良くない戦場に来るとは何事だと、さらに縁切りをすることで、「征夷大将軍の妻」という地位を捨てさせ、狙われにくくしているとも思えるのです。


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と、長々書きましたが、付近は峠に向かう道があるだけです。
このあたりには源氏にゆかりのあるスポットも多く、歴史深い地域です。

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小さな橋(というより欄干だけ)ですが、面白い伝説が残っているもんですね。
通り過ぎるだけであれば、1秒未満の場所ですがちょっと足をとめて見てみるのも良さげです。


縁切橋